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CHANEL LOHAS Health Life

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世界の紅茶文化




『世界の紅茶文化』


紅茶文化を語るときに必ず登場するのが、イギリスです。

西欧諸国で、なぜイギリスだけが独自の紅茶文化を発達させたのでしょうか。
西欧に初めて茶(緑茶)が伝えられたのは1610年のことです。
西欧では、一足先にコーヒーが広まっていました。
コーヒーはもともとアフリカ原産でした。アフリカに植民地をもっていたフランスがその貿易権を独占していました。イギリスでも当初はコーヒーが飲まれていましたが、茶は家庭に普及したために一気に需要が高まりました。さらに17世紀には、中国から茶の直接輸入が始まり、19世紀にはイギリスの植民地であったインドのアッサム地方でも自生の茶樹が発見されるなど、様々な状況がイギリスにおいて紅茶文化を発達させる土壌となったのです。

『茶の呼び名』
広東「cha」→・インド「cha」・チベット「ja」・日本「cha」・ペルシャ[cha」・トルコ「chav」・アラビア「chai」・ロシア「chai」
福建「tay」→・インドネシア「te」・オランダ「thee」・イギリス「tea」・フランス「the」・イタリア「te」・ハンガリー「te」
        ・北欧「te」・フィンランド「tee」・スリランカ「thea」

『午後のお茶』
イギリスを代表する風俗のひとつ「午後のお茶(afternoon tea)は、19世紀の半ば頃に貴族婦人たちの間で始まりました。
当時の英国上流社会では、たっぷりと朝食を食べたために昼食が軽く、それでいて社交の晩餐が夜の8時頃から始まるのが普通なために、午後5時頃にお茶とお菓子を食べる習慣が始まり、それがやがて午後のお茶会へと発達し、さらにホテルや百貨店などにも普及し始めたのです。

『ティーカップについて』
現在では、ティーカップといえばほぼ同じ形をしていますが、この形に落ち着くまでにはさまざまな変遷がありました。
西欧に中国製の磁器が輸入されたのは、17世紀に中国からお茶を運んだ商船がバラスト(船の安定性を保つために積む荷物)として運んだのが最初でした。
英語で磁器のことを「china(チャイナ)」と呼ぶのは、それが中国から運ばれたものだからです。
これらの磁器はお茶とともに貴族階級の間に広まり、磁器を茶器として考えるようになったのです。
これらの中国から運ばれた磁器には受け皿がついていないし、カップには把手もありませんでした。また、カップのサイズも非常に小さなものでした。これは最初、お茶が薬として扱われていたことを表しています。
イギリスでは昔から酒類用として把手付きの大型カップが用いられていたために、お茶用の陶器にも自然と把手付きが登場し始めたのです。


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